ベネディクト著、角田安正訳『菊と刀』

この本を、ガガガ文庫の『AURA』と天秤にかけるヤツはそういるまい。かける雑食、才谷梅子ですコニチハ、『AURA』が品切れだったのでこっち買いました。武士道読んだら次コレだろう、みたいな♪日本が絡む比較文化論で筆頭に挙がる有名な本です。本を知らなくても「キリスト教文化は罪の文化、日本文化は恥の文化」、こういう定義を聞いたことある人は多いはず。

第二次世界大戦最終末期に、日本の敗北後の扱いに苦慮した米国が、日本人はどんなものかという問いを文化人類学者に投げました。日本人は最後の1人になっても竹槍で抵抗するのではないか、そう思う人も少なからずいたような世界です。そんな民族が天皇のラジオで一転武器を捨てたって謎。自分の国のことなのに、外国人の目を通すとすごく新鮮で、ベネディクト氏の観察眼におみそれします。すっごい面白いから!!こっち選んでよかった!!

才谷は、田舎の兼業農家が実家で、なんかよーわからんけど結構古い家だそうです。何が古いのかよーわかりません。とりあえず体質は古いです。梅子のあまりの高貴なオーラにより名家の出だと勘違いされそうですけど、爺は今でいうアルバイト、無職でした。高貴オーラが出てるとしたら個人の研鑚の賜物です。

地元も含め呪わしく思っておりましたが、こういう日本研究な本読むと、嗚呼わかる、典型的な日本社会で育ってきたもの、とちょいと嬉しい。半端に先鋭的なトコに生まれたヤツより、実地経験豊富なので理解しやすい自信あるもんね♪私は実家が嫌いで、反発してて、なんかやたらに嫌いだったものが、コレを読むとその嫌いなものの名が見えてくるようです。

「応分の場」と訳されてました。日本人は、どこかに勝手に定義されるのを好むらしいです。ベネディクトの目についたのは家父長制等の上下の階層制度で、今その色はだいぶん薄くはなっていますが、私はまた別の応分の場に安心する日本人を知っています。星座や血液型占いですね。何も選ばないのにそこで定義されるのを歓迎するトコ、変わってないなぁと思います。形が変わっても本質はそのままのトコを見つけられるのは楽しい。

私の敵、恩。コレについは目からウロコです。私、コレと戦っとったんだなぁと。日本人は生まれながらにして莫大な恩を負ってるように見えるらしいのです。親や社会に恩を返し、次の世代の面倒を見るのも前世代からの恩の延長。ホラ、余程のことが無い限り、日本人て親の人格を否定したりしないじゃないですか。合わないと考えるコトが間違ってるみたいな。合わなくても面倒見るのは当たり前、だって育ててもらったんですもの、という考え方。

…親は、能動的自発的に、子供を養育したくて子供を産んだんだから、勝手に誕生させられた方の子供からしたら別にそれ自体に感謝する必要なくね?というのが才谷梅子です。イヤァ困った人ですね(笑)好きなことだけ好き放題やってると他人もそうであるという自分のメガネを通した世界を押し付けます♪

私の母は、実家が貧乏だったので四大進学を諦めて短大に行かざるを得なかったそうです。関西外国語大学に受かってたのに、とこぼしたことがあります。そして私らがどんだけ幸福であるかを言外ににおわせます(大学で遊び呆けていたから)。関西外語は私大です。そりゃ金かかります。「公立行ける頭があったかどうかが問題。貧乏人用に公立の学校というものがあるのです。滑り込まずに恩着せるのは負け犬。」こんな娘です、私。

父母もその上の世代も、ホントにいろんなモンを(家をどうにかせな、老人面倒みな、墓守りせなetc)を負っていて、才谷はそういうものを選択したものしてないものとにスパーンと分けて、取捨選択の自由を自分に認めてるんですが、そんな選択肢が見えない、莫大な恩を負ったままの人には、そりゃ私なんか恩知らずに見えるわいな。選択が見えたらもうその連鎖に同じようには戻れない。何故なら連鎖に戻ること自体も選択だから。そして私はそれを選ばない。ククク。

実家の方はその他、「わしらが作った米食っとるんじゃろう」等の恩着せがましいことを言います。「食って欲しいから送ってきてるんじゃないのか」と思うのはやっぱ日本人らしくないのか。私が帰省時にお菓子買って帰ったり、チェーザレ等の本を贈るのは喜んで食べて欲しいし読んでほしいからなのにな。イロイロと、才谷は残念なコなようです。

一般の日本人と同じに思われては困る、でも才谷は何人かというとやっぱり日本人なんですよね。反発してよーがそれすら文化の範囲内でしょうよ。日本以外に住みたいと思わないし(購読途中の本を発売日当日に入手したいとかそういう理由)。

ちょっと笑ってしまったのは、米国で「大人になる」ということは、「好きなものを食べられる」ということらしい。子供の頃は体にいいものを強制されるが、大人になるにつれて強制力が弱まっていくと。脳内ステレオタイプの米国人そのまんまなんです。プププ。対して日本人は子供と老人に自由度が高く、青年期壮年期は制約が多いとのこと。バリバリ働いてる時に不自由らしい。才谷はそんなコトないけど社会は今もそんなカンジだなぁ。大人が遊ばないと子供は夢がもてないと思うのに。

目をみはるのが、「日本の家庭は外界からのシェルターにはならない」て主張。普通がどうかよくわからんけど、ベネディクト氏曰く「普通、集団Aの1人が外部の集団Bから攻撃された場合、集団Aはその人を守ろうと動く」らしいのね。でも日本の家庭はそこでも受け入れがたいとはじき出す、と。

身に覚えのある例を。梅子は成績表の生活態度評価が低い子供だったのね。「友達と仲良くできる」とか、無理じゃん?(笑)学習面は割とヨシなのね。学期末、成績表をもらって親に見せると、生活態度について書かれてる小言をそのまんま親に繰り返されるのね。ま、学習面について褒めればつけあがると予想してたのは正しい。そういう親だと思ってたんだが、もしかしてアレは教員やら同級生に対してウチの子が恥ずかしいという意識が働いてたりするんかなー。何にせよ、親は成績表の小言をそのままコピーで繰り返す。「何かあった?」などと訊いてくることは全くない。嗚呼日本人、日本人。

父が家族に内密に金を数百万遊びにつぎ込んでたてー家族会議も完全に吊るし上げだった。母が顛末を涙ながらに説明し、祖父母はアホ息子で情けない申し訳ないみたいなコトを呟き、妹竹子は「アタシ大学行かないっ!」と泣き喚くド修羅場。梅子は父の言い分を聞いてやろうと質問するも、父は沈黙、母が代弁。悪いのは父だが、改善策をみんなで考えようて雰囲気でなくて、堂々巡り。アホらしくて「話それだけなら部屋戻る」と席を立ったら「オメーはどう思うんじゃ?竹子はちゃんと自分が思うことをゆーたのに」という、ホントにホントに不毛な質問でまた座らされる。ベネディクト通すとコレも日本的に見えるなー。

米国人の生活について全く知らないわけで、それらがホントに日本的かどうかはわからない。日本人が読むとしたら米国の状況も併せて書いて欲しいとこだが、米国人へ向けた著作だから仕方ない。留学経験のある友人たちに読んでもらって感想をきいてみたいところです。

というか、才谷はあんまり国別に分けて考えたくない人なのね。私が日本人の日本的な部分を捨ててるように、他の誰かも何かを捨てたり特別に持ってたりで、んじゃ個人の個性ってのはどこまでの範囲なんだろうかとか、考えても仕方ないんだけど考えてしまうのね。

たまたまチョーワガママな米国人と知り合って、米国人がワガママって思うのは失礼な話だと思う。脳内妄想中の英国留学の話とか、英国人て前提を気にして英国編を作るなら登場人物の個性が弱くなりそうだと今すごーく心配してる。でもその前提ないと面白くないっちゃ面白くないしなぁ。文化と個性の境界がよくわからん。

そもそも、私の立場は「心を比べることは出来ない」でした。私は比べるに足るデータを収集するのをとうに投げました。自分に出来ないコトをこんなに鮮やかにやってのけられると、チョイと頑張ってみようかって気にもなるか。ベネディクト氏は来日してません。日本の小説や映画を研究し、日系人にインタビューしてコレを書いたそうです。間違ってるトコもあります。文系の研究結果なので、こじつけっぽく聞こえるトコもあります。深読みしすぎ、と思う部分もあります。そういうトコを反論もしながら読むのもまた楽しみ方の一つ。

亀山郁夫氏による新訳カラマーゾフを出した光文社が出版してまして、期待通りすごくわかりやすい訳でした。あの翻訳ポリシーはすごく好きだ。挟んであった広告に、亀山郁夫氏の罪と罰が載ってて、才谷は買う気マンマンです。出版社まで好きになったのは初めて♪

オススメです。誰にでもオススメです。読んだ人みんなの感想をきいて回りたい一冊です。

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