平野啓一郎『日蝕』

4年ほど前に読んで、さっぱり意味がわからなくて放置していた小説です。ぶっちゃけ、私の読解力が日蝕に追いついている自信はなかったのですが、カタトゲを読んで『日蝕』に手をつけた友人がいるので再読です。平野啓一郎は好きと書いたけど、日蝕は意味わからんと正直に恥を晒したぞ!!

…それが、面白い!!

わからないところは依然多くあるも、全体の流れはクリアに見える!「全的な到達と再生」うわーこんな場面を書けるのかー!!強烈に全てが存在するクライマックスの場面、日蝕まで起こすとはすごい!強い光であり、その強さを実感する瞬間でありながら闇もまたそこに在る同時性。かっこええええええ!!

キリスト教グノーシス主義がちょっと面白くて、理解したとまではいかずともそういう考え方に納得するとこまでいったり、図らずもルネサンス系の本に手を出していたり、あとファウストやハガレン(←意外と為になる)で錬金術とか、理解への手助けになる素材を知らずに集めておったようです。嗚呼プラトン、彼を知ってたらもっと面白いかもしれんのに…!!

キリスト教グノーシス主義は興味深い。全知全能で善そのものであるはずの創造主、それがこの不完全な世界を作るはずがない、と考えるのですな。この世界は創造主の創造から外れた悪の世界であり、完璧な世界はまた別にある、だからそっちに向かわなくてはならない、と。代表格はカタリ派です。彼らはコチラの世界が悪であるとして子供を作らないのを推奨する、と。教皇庁はそれを異端と断罪し、説得を試みるも後に不可能と判断(論で勝てないらしい)、討伐軍を差し向けて絶滅に追いやります。

主人公はパリ、カトリックの学僧で、グノーシス主義に対し、「ならば何故、神が受肉したのか?」「神が受肉した世は呪うべきものではなく、歓ぶものである。」というお考えをお持ち。なるほどー!神学って面白い!才谷、全く当事者じゃないので無責任に好奇心を躍らせます。ああ、あと、聞きかじった程度の知識なので、今更ですが読者様は丸呑みしないようにー!

押し寄せるルネサンスの波、キリスト教以前であるギリシアローマの再発見する時代にあって、主人公はその時代を悪と断罪するよりも、それも神の意思のうちにあるものであってほしいと願う。それを理解したいがために、書物や知識を求めてリヨンを訪れ、世俗の賢者らしいピエェルに教えを請おうと舞台の村へ。クリスチャン様には無礼な話かもしれませんがね、こういうどうでもいいコトにムキになる人の好奇心って清清しい。

ま、紆余曲折あるわけです。ヨメが鈴を鳴らす夢にどんな意味があるんか、とか、2回読んでもさっぱり意味がわからんコトは多々あります。特に実際的な錬金術についてはさっぱりで、荒川弘に参考文献教えてほしいくらい。

アルベドが白で、ニグレドが黒で、ルベドが赤かー。ゼノサーガIで敵さんが言ってたのはそういう意味があるのねーん。4年前と同じ感想です。敵グノーシスといい、あのゲームはなかなか興味深い単語が使われてますわいなー。萌えキャラいれば続編やってもいいのに。

なんだろう、純文学読んでるはずなのに、やっぱり頭は才谷梅子のようです…。

ピエェルの秘密の洞窟☆にいた両性具有者が魔女として焼かれるのがクライマックスです。ええ、わかってないから随分端折りましたよ。「太陽は月と結ばれた」なんと美しい表現か。焼かれる両性具有者、生と死、光と影、永遠の少年は理性の視線を向けて狂気に笑う。神が近い、イヤ全てが神の外なのか、それとも全て内にあるのか、とにかく相反するもの全部をそこに存在する瞬間。

こんな神は知らない。才谷の知るキリスト教の神ってのは、J.S.バッハのドッペルコンツェルト2楽章のように、遥か高みから福音をもたらす静かな存在か、ベートーヴェン第9の最後(カヲル君が握りつぶされたあたり)の牧歌的な無限空間のどちらかで、こんな強烈な場面、近い感覚は知らない。

わかってないものを他人にすすめるのは気が引けるのですけど、う〜、誰かとこの感覚を共有したい。ピエェルが謎すぎる、ブランコ少年の寓意は、両性具有者はなんなの!?誰か、助けてー!!

わからなかったことがわかりはじめる、それは多分に勘違いの可能性もあるけども、それでも楽しいので、この話はまた読むことだろうと思います。

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